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丸山敬太の徒然なるままに vol.3

2021年11月30日

丸山敬太の徒然なるままに vol.3

東京は夜の七時

TOKYOは夜の七時、、、ではなく、まもなく深夜1時を回りそうである。すっかり冷え込んできて、部屋は寒いので、ストーブとカシミアのブランケットで暖をとりながら、これを書いている。何しろ後数日で11月が終わり、恐ろしいことに、一年の締めくくり、師走へと突入する。あれ?!これって、11月号の記事なのでは???と首を傾げた貴方!!

貴方が正解です。(笑)まるで宿題が終わっていない小学生の如く、、、。まあ、ズルであります。でもギリギリ、11月だから許してチョンマゲ。(あくまでも昭和w)

 

さて、僕は東京生まれの東京育ちです。渋谷区神宮前3丁目、いわゆる原宿と言う地に生を受けて、まあまあ大人になるまでそこで暮らし、今でも渋谷区に住んでいます。よく、凄いですね、、とか、さすがデザイナーになるだけあってお洒落ですね、、とか言ってくださることもあるのですが、いわゆる、親の仕事の関係で、という奴である。うちの父親はプロ野球選手だったので、体育会系の家で、つまりお洒落と言う訳ではなく、ただ、神宮球場が近いという理由で、僕は原宿っ子になったのである。今となっては感謝しているけど、当時の原宿は、まだまだ全然長閑で、緑も多く、まあ、今思えば、コーポオリンピアだのお洒落輸入物のスーパーマーケットのユアーズやら、外国人向けのあれや、これやがあったのだけど、子供の僕にとってはせいぜいキディランドが夢の場所だった。中学生の時に、愛らしい教会の跡地にラフォーレ原宿が出来て、竹下通りにアイドルショップが立ち並び、その後、若者の街にどんどんなっていくのだけれど、それより前はレオンやパレフランス等、大人の街だった気がする。

僕の原宿グラフティーは又別の機会に記すとして、そんなめまぐるしく変化して行った街が僕の故郷である。

 

故郷は遠きにありて想うもの、、、とは誰の言葉だったんだろう?

高校を卒業して、初めて地元以外の色んな場所からやってきた友人達が出来て、彼らの情報量や熱量。吸収していくスピードやエネルギーに、ものすごく圧倒されたのを覚えている。

東京生まれでいいですね?とか、実家東京で羨ましいとか、よく言われたのですが、僕にしてみれば、友人達の沢山の箱いっぱいに送られてくる実家からの荷物や、一人暮らしの気ままさや、何より帰る場所があるみたいな事を、ないものねだりで、羨ましく思ったりしたものである。

原宿にあった僕の実家はもうない。

随分と最近まであった近くの公園も、大きな桜の樹も、小さい頃に遊んだ路地も友人の家の小さな庭ももう無い。

街のあちこちの場所が、一個前が何で、その前が何で、子供の頃何だったのか、変わりすぎていて全く思い出せない。

なんだかちょっと、浮き草のような、記憶喪失のような、フワフワと寄る方のない感じがしてしまうと、同じように東京生まれの友人が言っていた事がある。

すごくわかる。生まれてから半世紀も、同じ場所に暮らしているにもかかわらずである。

最近このコロナ禍になって、リモートワークが増え、どこででも仕事が出来るようになった。それに伴うようにして、東京の株はなんと無く堕ちて、「なんか東京のバイブスやばくない?」とか、「地方の時代だから、移住だよね?」とか、「東京はもう終わった、、」とかなんか色々残念な事が言われ耳に入ってくるようになった。なんだかね、今まではそんな風に思ったことなかったんだけど、ものすごーーーく腹が立っている自分がいた。(言えないけどw)地方がそれぞれ美しいように、故郷が懐かしく素晴らしいように、僕にとってもこの街が紛れもなく大切な場所なんだと、改めてというか、初めて深く想えた。東京に来て、東京に傷ついて、勝手に嫌いにならないで欲しいなぁーーーって。郷土愛みたいなものが自分の中にもあったんだって驚いたりしてw。

深夜の首都高の美しさも東京タワーの灯りも、表参道の朝の光も、皇居周りの澄んだ空気も、銀杏並木も、何もかも飲み込んでくれる歌舞伎町の猥雑な匂いも。古い小学校の水車小屋も、路地裏の桜の樹も、隣のおばさんが大切に育ててる軒先の植木鉢も。。。。朝も昼も夜も深夜も、TOKYOは美しいと思っているし、これからもそうあって欲しい。

そんな東京が大好き。

 

 地球のどんな場所も、誰かにとっての大切な場所で故郷なんだよなぁと改めて、そんなことを思いながら。

 

又、色んな事がクリアになったら、世界中のあちこちへ旅したい。

 

なんて想うのでした。

 
 

 

ああー、早くどっか行きたいよーーー。